未来を花束にして



少し前に読んだバルガス・リョサの『楽園への道』で知った、ゴーギャンの祖母で女性解放と労働者組合のために活動したフローラ・トリスタンのことを思い出しました。

あちらはフランスで、フローラが亡くなったのが1844年だからこの映画のイギリスよりもずいぶん前だけれど、女性たち、労働者たちの置かれている状況はそこからほとんど改善されていない。



『楽園への道』ではDV夫から逃れるため子供を連れて家出したフローラは犯罪者として追われ(子供の親権は父親のもの、妻も夫の所有物扱いで自由意思は認められない)ストーカー化した夫に銃で撃たれたりしながら、女性解放運動のための活動を続けたましたが、この映画の主人公モードもやはり、活動にのめりこんだことで夫に家から閉め出され、子供には会わせてもらえない。

母親=女性には親権がなく、夫の一方的な仕打ちにもひたすら耐えるしかない。



それにしても、この活動家女性たちの行動の過激さにはちょっと驚いた。もちろんそうまでしなければ彼女たちの声に耳を傾けてもらえない、という状況ではあったのだろうけど、爆破テロや、ラストの殉教者エミリー(※彼女は実在の人物)の選んだ手段などは、手放しで良くやったと褒め称えられない複雑な気持ちになってしまう。

こういった女性たちの頑張りのあとの未来に現代の自分たちの得ている平等があることはとても有難いし敬意を払いたいけれど、じゃあ爆破テロしていいかっていうと正義ってなんだろうって考えてしまうかも。



実在の有名活動家であるエメリン・パンクハースト(メリル・ストリープ)や、殉教者エミリーを主役にせずに、名もなきいち主婦だった架空の女性を主役にしたのは良かったと思う。

キャリー・マリガンがおっとりした普通の主婦から、強い意志をもって自己主張をするようになる過程がとても自然で上手かった。
スポンサーサイト