グリーン・インフェルノ



B級ホラーであることは間違いないんだけど、その割にはしっかりとテーマ性とエンターテインメント性が両立した王道な娯楽ホラー作品でした。



まず、価値観の反転が実に効果的になされている。環境保護を訴える「意識高い系」(笑)の学生が、実は超偽善男だったり。

もっとも新鮮だったのは、部族の描かれ方。彼らは野蛮であることは間違いないかもしれないが、普通に外部から来た「貴重な動物」を、普通に殺して調理して和気あいあいと食卓を囲む。

これはマグロの解体ショーや、アユの踊り食いをウヒャウヒャ言いながら楽しむ我々とどこか違うのだろうか?家畜が豚や牛だなんて誰が決めた?

そもそも、「食人」という行為だって、人間の歴史の中では幾度となく繰り広げられてきた普通の行為だし(そして今もどこかでおこなわれている)。

そう、欧米を中心とする先進国的な価値観の反転。



しかも笑えるシーンも満載。マリファナのくだりとか、サイコーに笑えるし。虫さされを気にするようなブロンドの美女が、狭い檻の中でとうとう我慢できなくなって下痢便をブリブリブリ!!っとぶっ放しながら、「みんなゴメンね〜!!」って泣きながら謝るシーンなんて、観たくないなんて言う男がいたら私はお目にかかりたいもんだ。みんな心の中ではそんな絵を観たいって思ってるけど、変態だと思われるのが嫌で口に出さないだけでしょ!?(笑)。

観客が観たいものを臆面もなくキッチリ魅せる、というサービス精神はタランティーノにもどこか通じるところがある。



イーライ・ロス、ついに化けたな。
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未来を花束にして



少し前に読んだバルガス・リョサの『楽園への道』で知った、ゴーギャンの祖母で女性解放と労働者組合のために活動したフローラ・トリスタンのことを思い出しました。

あちらはフランスで、フローラが亡くなったのが1844年だからこの映画のイギリスよりもずいぶん前だけれど、女性たち、労働者たちの置かれている状況はそこからほとんど改善されていない。



『楽園への道』ではDV夫から逃れるため子供を連れて家出したフローラは犯罪者として追われ(子供の親権は父親のもの、妻も夫の所有物扱いで自由意思は認められない)ストーカー化した夫に銃で撃たれたりしながら、女性解放運動のための活動を続けたましたが、この映画の主人公モードもやはり、活動にのめりこんだことで夫に家から閉め出され、子供には会わせてもらえない。

母親=女性には親権がなく、夫の一方的な仕打ちにもひたすら耐えるしかない。



それにしても、この活動家女性たちの行動の過激さにはちょっと驚いた。もちろんそうまでしなければ彼女たちの声に耳を傾けてもらえない、という状況ではあったのだろうけど、爆破テロや、ラストの殉教者エミリー(※彼女は実在の人物)の選んだ手段などは、手放しで良くやったと褒め称えられない複雑な気持ちになってしまう。

こういった女性たちの頑張りのあとの未来に現代の自分たちの得ている平等があることはとても有難いし敬意を払いたいけれど、じゃあ爆破テロしていいかっていうと正義ってなんだろうって考えてしまうかも。



実在の有名活動家であるエメリン・パンクハースト(メリル・ストリープ)や、殉教者エミリーを主役にせずに、名もなきいち主婦だった架空の女性を主役にしたのは良かったと思う。

キャリー・マリガンがおっとりした普通の主婦から、強い意志をもって自己主張をするようになる過程がとても自然で上手かった。

マッドマックス 怒りのデス・ロード



アクションに次ぐアクションで全く飽きることがなく見ることができた。

この映画で一番頑張った人はバイクとか車とか人などのアクションの人たち。

日本人には太刀打ちできないなあって思った。人が棒にくくりつけられて、その棒が左右に撓りつつトレーラーに乗り込んだり手榴弾を投げ込んだりするのどこまでCGでどこまで本当に人をくくりつけてやっているのかすごく気になった。

あれ本当に大変そう。


設定として核戦争後の荒廃した地球ってことでケープタウンとシドニーで撮影をしたらしいのだけど、黄色い砂漠と青い空がとても印象的だった。日本人も大金かけて砂漠でドッカンドッカンする映画誰か作ってみてくれないかなあ。


個人的にちょっと考えたのは、悪者の設定で女を囲ったり人の母乳を乳牛みたいに搾乳機で吸い取ったり野菜をプラントで作っていたりするのだけど、あれってああしないと国(でいいのか?ww)が維持できないからそうしてるのかな?

結構設定考えてるのかなと思える節があったりするのだけどアクションをやり倒すために説明がほとんどない。

それは主人公マックスのフラッシュバックの女の子もそうなのだけど、何か緻密な裏設定(もしかしたら全くそんなものないのかもしれないけど)があるのかなあ?って感じた。

それでも細かくツッコミ箇所探せばある。だけど突っ込んじゃいけません。そんなこと言うのは野暮。

何も考えずに見るのが正しい見方なのだ。


まあどっかんどっかんやってて楽しくてよかったです。

アメリカン・スナイパー



戦場の描き方が現在の戦争の実情を映しているとも思いました。

映像そのものの雰囲気は、2009年に中東での戦争風景をかなりリアルに描いたことで絶賛されたキャスリン・ビグロウ監督の「ハートロッカー」を思い起こさせるものがありましたが、あの映画が基本的に「地雷除去」での地雷という、目に見えない、いつ爆発するともわからない見えない敵との精神的な静かな戦争だったのに対し、こちらはより実際の戦争風景に近い、かなり本格的な銃撃戦が展開されます。

さすがに戦闘シーンに関しては40年くらい前からお手の物なイーストウッドですから、すごい迫力でした。


そして、ここ20年くらいの近年の戦争らしい捉え方もしていますね。

戦争映画って、1950年代くらいまでは国が戦争に至った動機はあまり見せずに邪悪に描かれた敵を打ち倒す勧善懲悪ものが目立ってたり、そうかと思えば60年代のベトナム戦争以降になると、そうした戦争に疑念を持つ世代が戦争の存在意義に強い疑問符を投げかけるものが多く見られたりします。

そこへ行くと、この「アメリカン・スナイパー」は、「戦場を”職場”として割り切る男たち」を淡々と描いています。

そこには「どうわめこうが、戦争は起こるもの」「いずれにせよ、世の中には悪いヤツがいることに変わりはない」といった、どこか悟ったような心境が漂ってきます。

これ、前述した「ハートロッカー」でもそうだったんですけど、このドライな感じはすごく時代感を象徴しているとは思ったし、今後の戦争映画でも主流になりそうな気がします。

ハクソー・リッジ



個人的には沖縄のドンパチをずっとやってる映画で軍隊内部で抗争があったりとかそんなのかなあと思ったが、ドンパチは後半からでその前半は良心的兵役拒否の話で、正直教科書でしか見たことのない単語のことがこんな風に映画で出てきて驚いた。

それが夜中にボコボコにされたりすごいキツい目にあってて気の毒に思った。

映画では少数者、マイノリティがよく題材にされるけど、この映画もこの系譜なのね。最近見た映画ではムーンライトが黒人の同性愛者、マイノリティアンドマイノリティって感じだったなあ。

題材としては物語に持って来やすいのだろう。戦争におけるマイノリティってあまり語られた記憶はない。

今後この映画がそういうパイオニア的な位置を占めるのだろう。

この点だけを持って超面白い。良心的兵役拒否者がまあなんで軍に入るのかねって思うね。

それが後半ハクソーリッジの上の戦場の夜に明かされるのだけどちゃんと前半の子供時代の描写から繋がってて、脚本が丁寧でウエルメイドだなあって感心する。

ハリウッド映画のアクション映画なんてテンポ最重視で説明吹っ飛ばす編集なんだけど、この映画は実にそこのところは丁寧だった。

で、話だけからすれば戦場に立って仲間をメディックとして助けたってだけで十分だと思うのだけど、そのハクソーリッジでの戦闘シーンがスゴかっですねえ。

プライベートライアンのノルマンディ上陸の描写と引けを取らないのではないかなあ。

個人的には沖縄上陸戦ってよく知らないのでこんなだったのかと勉強になった。

あんな戦争を日本国内でしてたのね。