FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

オデッセイ



宇宙飛行士のマーク・ワトニー(マット・デイモン)は、火星への有人探査計画にクルーとして参加します。

そして砂嵐で倒れたアンテナがワトニーの腹部を直撃。

他のクルー達はワトニーが死亡したと判断して、ヘルメス号で火星を出発してしまいます。

しかし、ワトニーは生きていました。

腹部からの出血が、宇宙服の裂け目を塞ぎ、奇跡的に生存したのです。



次のミッションは4年後。それまでワトニーは火星で生き延びなければなりません。

そこでワトニーは植物学者とエンジニアの知識をフルに使い、水、空気、電気を確保し、保存してあったジャガイモで栽培を始めます。

そのワトニーの活動をNASAが気づき、ワトニーの救出に乗り出します。

この辺で、「NASAもコーヒーなんか飲んでないで、早く気づけよー」とツッコミを入れました。



冒頭、ワトニーとクルー達との余裕の会話が続きます。

何か起きるだろうなと観ていると、やっぱりドッカーンと来ました。

そしてワトニーの一人ぽっち生活が始まります。

ワトニーが火星で正気を保てたのは、状況に適した知識と、持ち前の明るさだと思います。

随所に流れる70年代のディスコミュージックもミスマッチで良いです。



ワトニーは毎日コンピューターに向かって日誌を記録します。

NASAと交信できるようになってからは、ワトニーも孤独から解放されますが、全て自分がやらなければなりません。

地球側も頑張っていますが、打ち上げに失敗したり、なかなか上手くいきません。



ワトニーは、クルーとのランデブー地点まで旅をするのですが、もうその時点では食料も底を尽きます。

入浴後のワトニーの後ろ姿から、「痩せたなー」というのが分かります。

ワトニーの持ち前の明るさも、栄養不足のせいか陰りが見えます。

「これで失敗したら、もう後が無いな」と感じさせます。



終盤は、ワトニーの孤軍奮闘とクルー達のワトニー救出作戦が次々と続きます。

最後の最後まで不測の事態が勃発し、ハラハラさせられます。

ワトニーとクルー達の繋りは交信だけなのですが、実際の距離が徐々に縮まっていくのが感動的です。
スポンサーサイト

グリーン・インフェルノ



B級ホラーであることは間違いないんだけど、その割にはしっかりとテーマ性とエンターテインメント性が両立した王道な娯楽ホラー作品でした。



まず、価値観の反転が実に効果的になされている。環境保護を訴える「意識高い系」(笑)の学生が、実は超偽善男だったり。

もっとも新鮮だったのは、部族の描かれ方。彼らは野蛮であることは間違いないかもしれないが、普通に外部から来た「貴重な動物」を、普通に殺して調理して和気あいあいと食卓を囲む。

これはマグロの解体ショーや、アユの踊り食いをウヒャウヒャ言いながら楽しむ我々とどこか違うのだろうか?家畜が豚や牛だなんて誰が決めた?

そもそも、「食人」という行為だって、人間の歴史の中では幾度となく繰り広げられてきた普通の行為だし(そして今もどこかでおこなわれている)。

そう、欧米を中心とする先進国的な価値観の反転。



しかも笑えるシーンも満載。マリファナのくだりとか、サイコーに笑えるし。虫さされを気にするようなブロンドの美女が、狭い檻の中でとうとう我慢できなくなって下痢便をブリブリブリ!!っとぶっ放しながら、「みんなゴメンね〜!!」って泣きながら謝るシーンなんて、観たくないなんて言う男がいたら私はお目にかかりたいもんだ。みんな心の中ではそんな絵を観たいって思ってるけど、変態だと思われるのが嫌で口に出さないだけでしょ!?(笑)。

観客が観たいものを臆面もなくキッチリ魅せる、というサービス精神はタランティーノにもどこか通じるところがある。



イーライ・ロス、ついに化けたな。

未来を花束にして



少し前に読んだバルガス・リョサの『楽園への道』で知った、ゴーギャンの祖母で女性解放と労働者組合のために活動したフローラ・トリスタンのことを思い出しました。

あちらはフランスで、フローラが亡くなったのが1844年だからこの映画のイギリスよりもずいぶん前だけれど、女性たち、労働者たちの置かれている状況はそこからほとんど改善されていない。



『楽園への道』ではDV夫から逃れるため子供を連れて家出したフローラは犯罪者として追われ(子供の親権は父親のもの、妻も夫の所有物扱いで自由意思は認められない)ストーカー化した夫に銃で撃たれたりしながら、女性解放運動のための活動を続けたましたが、この映画の主人公モードもやはり、活動にのめりこんだことで夫に家から閉め出され、子供には会わせてもらえない。

母親=女性には親権がなく、夫の一方的な仕打ちにもひたすら耐えるしかない。



それにしても、この活動家女性たちの行動の過激さにはちょっと驚いた。もちろんそうまでしなければ彼女たちの声に耳を傾けてもらえない、という状況ではあったのだろうけど、爆破テロや、ラストの殉教者エミリー(※彼女は実在の人物)の選んだ手段などは、手放しで良くやったと褒め称えられない複雑な気持ちになってしまう。

こういった女性たちの頑張りのあとの未来に現代の自分たちの得ている平等があることはとても有難いし敬意を払いたいけれど、じゃあ爆破テロしていいかっていうと正義ってなんだろうって考えてしまうかも。



実在の有名活動家であるエメリン・パンクハースト(メリル・ストリープ)や、殉教者エミリーを主役にせずに、名もなきいち主婦だった架空の女性を主役にしたのは良かったと思う。

キャリー・マリガンがおっとりした普通の主婦から、強い意志をもって自己主張をするようになる過程がとても自然で上手かった。

嘘を愛する女



映画「嘘を愛する女」は、高橋一生という俳優を満喫できる映画です。

誤解をおそれずに言えば、彼をキャスティングできた瞬間にその作品的価値と成功を手にしたと言えるでしょう。

高橋さんはTBSドラマ『カルテット』や大河ドラマ『おんな城主 直虎』などで、2017年一躍スターダムの道を駆け上がりましたが、彼のキャリアは非常に長く、映像だけではなく、舞台でも数多くの作品に出演し、活躍してきた役者さんです。

彼の魅力は、その甘いマスクと演技力、そしてなによりそのミステリアスな部分です。表面には浮かび上がってきていない、隠された「何か」を持っていそうな(腹に一物ありそうな)、そんな複雑性が彼の俳優としての何よりの売りであるといえるでしょう。

特に、本作のようなミステリー的要素の高い作品で、しかも彼が演じた小出桔平はある種謎の多き人物で、彼の過去と人間性を暴くことが、作品のテーマにかかわってくる作品では、より高橋一生さんのミステリアスな部分が引き立ちます。

本作「嘘を愛する女」では、表の顔と、その裏に隠された顔のふたつを演じ分けている高橋さんですが、彼の芝居は常に一貫しています。ただ映画を通して、それを観る観客の気持ち(見方)が変化していくので、彼の芝居はまるでカメレオンのようにどんどん変化していくような錯覚を憶えます。

これは高橋さんだからこその芝居と言えます。

長いあいだ、端役(しかもやや卑屈で、癖のある役)を多く演じられてきた高橋一生さん。彼の演技の引き出しの数は、いったいいくつあるのだろうと感心せざるを得ない、そんな映画でした。




22年目の告白 私が殺人犯です



ちょうど藤原竜也さんの演技が気になっていたので何の前知識もなく観ました。

演技の上手さはもちろん、その存在感に圧倒されました。

さすが舞台や映画で主役を張る役者さんだと感心しきりでした。

ストーリー展開もテンポが良く、周りを固める脇役の方々も演技派揃いで最後までドキドキしながら楽しめました。

個人的に「どんでん返し」のある話が好きなので、この先はどうなるんだと考えながら観るのが好きな方にはオススメかと思います。


この作品を観た後に原作の韓国版も観たのですが、こちらもまた日本版とは違う面白さがありました。

好みが分かれるでしょうが、どちらも観る価値があると思います。

日本版は始終シリアス、韓国版はシリアス+アクションコメディといったところでしょうか。

過去の殺人の告白、という事で緊張感のあるシーンがいくつか出てきますが、観終わった後は「そういうことか」と肩の力が抜ける感覚に陥りました。


登場人物が皆含みのある怪しい人達ばかりなのもこの作品の魅力の一つかと思います。

最後まで見逃せない展開が続きます。

長時間作品にあるような中だるみがなく、うまいこと纏めたなぁと感心しました。


最後に、直前まで観ていたドラマの藤原竜也さんがあまりにも冴えない役だったので、この作品のクールな彼とのギャップに驚きました。

藤原さん始め、他のキャストの演技にも注目しつつストーリーを追っていくとより楽しめるかと思います。

是非一度ご鑑賞下さい。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。